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岡山地方裁判所 昭和62年(ワ)594号 判決

原告

岡本清嗣

被告

高橋正浩

主文

一  被告は原告に対し一八五万三四二三円及び内一六八万三四二三円に対する昭和六一年一〇月九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告)

一  被告は原告に対し八六四万三一六八円及び内七四四万三一六八円に対する昭和六一年一〇月九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言

(被告)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

第二主張

(請求の原因)

一  昭和六一年一〇月九日午後四時五分頃倉敷市有城七八七番地先県道上において、原告運転の普通乗用自動車(岡五六る五四四七、以下原告車という。)が交差点の信号待ちのために停止していたところ、被告運転の軽四貨物自動車(岡山四〇は四三八九、以下被告車という。)が追突した。

二  被告は被告車の運行供用者であり、原告の損害を賠償すべき義務がある。

三  原告の損害は次のとおりである。

1 治療経過

原告は頸部捻挫の傷害を受け、次のとおり入通院して治療を受けた。

(一) 児島市民病院 昭和六一年一〇月九日通院(実日数一日)

(二) 児島中央病院 昭和六一年一〇月一〇日入院(実日数一日)

(三) 倉敷中央病院 昭和六一年一〇月一一日から同年一一月五日まで入院(実日数二六日)

(四) 児島聖康病院 昭和六一年一一月六日通院(実日数一日)

昭和六一年一一月七日から昭和六二年三月一五日まで入院(実日数一二九日)

昭和六二年三月一六日から同年六月二四日まで通院(実日数七六日)

2 後遺障害

昭和六二年六月二四日症状固定となつたが、頸部痛、軽度の頭痛、右上腕及び前腕にかけてのしびれ感の後遺障害があり、右は自賠法施行令別表一四級一〇号に該当する。

3 治療関係費 一〇六万七九六八円

(一) 児島市民病院分 三五七〇円

(二) 児島中央病院分 五万一六二〇円

(三) 倉敷中央病院分 一七万三六八八円

(四) 児島聖康病院分 八三万九〇九〇円

4 休業損害 三九六万二七〇〇円

原告は漁業を営み、一日当たり一万五三〇〇円の利益を得ていたところ、前記入通院のため二五九日間休業を余儀なくされ、三九六万二七〇〇円の損害を受けた。

5 後遺障害による逸失利益 七六万二五〇〇円

原告には前記後遺障害があり、前記利益の五パーセントを三年間喪失し、その額は中間利息を控除すると七六万二五〇〇円(15,300×365×0.05×2.731)となる。

6 慰謝料 二八五万円

前記入通院期間分二〇〇万円、後遺障害分八五万円の合計二八五万円が相当である。

7 弁護士費用 一二〇万円

8 損壊の填補

3ないし7の合計額は九八四万三一六八円となるが、一二〇万円の損害の填補があるので、残額は八六四万三一六八円となる。

四  よつて、原告は被告に対し前項8の八六四万三一六八円及びこのうち弁護士費用一二〇万円を除いた七四四万三一六八円に対する不法行為の日である昭和六一年一〇月九日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(請求の原因に対する認否)

一  請求原因第一、二項の事実は認める。

二  同第三項の1、2については、原告がその主張のように(一)ないし(三)の病院に入通院したことは認めるが、その余は不知、原告の後遺障害が自賠法施行令別表一四級一〇号に該当するとの点は否認する。同3については、原告が(一)ないし(四)の治療費を要したことは認めるが、その余は知らない。同4ないし7は知らない。

本件事故時の被告車(原告車より相当軽量である。)の速度は時速五キロメートル以下の約三・六キロメートルであり、その衝撃の程度は軽いものであり、原告に頚部捻挫を生じることはあり得ず、頚部打撲が生じる可能性があつた程度である。したがつて、事故日から二八日後までの倉敷中央病院における治療までが本件事故と関係のある治療であり、その後の児島聖康病院における治療は本件事故とは関係のない膵炎などの私病などについてのものであり、本件事故とは因果関係はない。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。

理由

一  昭和六一年一〇月九日午後四時五分頃倉敷市有城七八七番地先県道上において、原告運転の原告車が交差点の信号待ちのために停止していたところ、被告運転の被告車が追突したこと、被告は被告車の運行供用者であることは当事者間に争いがない。

二  原告の損害について検討する。

1  治療経過と因果関係について

いずれも原本の存在と成立に争いがない乙第二三、二四号証、いずれも弁論の全趣旨によつて真正に成立したと認められる乙第二、三号証、第六号証、いずれも被告主張の写真であることに争いのない乙第一号証の一ないし三、弁論の全趣旨によつて被告主張の写真と認められる乙第一号証の四、原告(第一、二回)及び被告本人尋問の結果(ただし、後記認定に反する部分は措信できない。)によると、被告車(原告車の約半分の重量であつた。)の本件追突時の速度は時速三・六キロメートル程度であり、原告車は追突によつて前方に動くこともなかつたこと、原告は本件事故当時シートベルトをつけ、ハンドルを握り、足ブレーキを踏んで前方を見ている状態であり、本件事故の衝撃により身体をどこかにうちつけることもなかつたこと、原告車の損傷は外観上はつきりしない程度のもので、リヤーバンパーパツド及びリヤーバンパー左右ライセンスランプ取り替えの一万二〇〇〇円の修理を要する程度であり、被告車は右ライトガラス、フエンダーグリル及びバンパーの損傷があつて、四万三〇〇〇円の修理を要する程度であつたことが認められる。

いずれも成立に争いのない甲第二ないし第八号証、第一〇ないし第一四号証、原告本人尋問の結果によると、原告は本件事故後、頭痛、吐き気、右肩頚部痛、食欲不振を訴えて頚部捻挫の診断(ただし、当初の児島市民病院では頚部打撲、倉敷中央病院では外傷性頭頚部症候群、頭部外傷第Ⅰ型と診断されている。)を受け、後記のとおり入通院して治療を受けたが、頚椎にレ線上は異常はなかつたこと、倉敷中央病院では昭和六一年一一月五日治癒見込みの診断がなされているが、原告は更に児島聖康病院で治療を受けたものであることが認められる。

(一)  児島市民病院 昭和六一年一〇月九日通院(実日数一日)

(二)  児島中央病院 昭和六一年一〇月一〇日入院(実日数一日)

(三)  倉敷中央病院 昭和六一年一〇月一一日から同年一一月五日まで入院(実日数二六日)

(四)  児島聖康病院 昭和六一年一一月六日通院(実日数一日)

昭和六一年一一月七日から昭和六二年三月一五日まで入院(実日数一二九日)

昭和六二年三月一六日から同年六月二四日まで通院(実日数七六日)

いずれも成立に争いのない甲第一九号証の一、二、乙第一八ないし第二一号証によると原告は本件事故前の昭和六〇年五月二一日頭痛、吐き気、食欲不振、全身倦怠感などを訴えて児島市民病院に入院し、各種検査や治療を受け、結局主病は膵炎と診断されて治療を受け、軽快したものとして同年七月二三日退院したが、その後も膵炎治療薬の服用を続け、本件事故当時も右膵炎治療薬を服用していたことが認められる。

成立に争いのない乙第七号証によると軽症の頚部捻挫では一、二週間の安静で症状が軽快し、漸次日常生活に復帰し、四ないし八週間以内に後遺症もなく治癒する症例が多いとされていることが認められる。

以上を総合すると、原告の前記入通院のうち倉敷中央病院までの二八日分の治療は本件事故による頚部捻挫治療のためのものであるが、その後の半分は右治療のためのものであるが(被告はこれについて本件事故との因果関係がない旨主張するが、前掲甲第一二ないし第一四号証によると、原告は頚部捻挫の治療方法とみられる運動療法、介達牽引、神経ブロツクなどの治療を受けていることが認められることからすれば、被告の右主張をそのまま採用することはできない。)、その余の半分は本件事故とは無関係の膵炎などによるものと認めるのが相当である。

2  治療費について

原告の前記入通院の治療費は、児島市民病院分三五七〇円、児島中央病院分五万一六二〇円、倉敷中央病院分一七万三六八八円、児島聖康病院分八三万九〇九〇円の合計一〇六万七九六七円であることは当事者間に争いがないが、右1の関係から、児島聖康病院分の半分を除いた六四万八四二三円をもつて本件事故による損害と認めるのが相当である。

3  休業損害について

成立に争いのない甲第九号証、原告本人尋問の結果(第一、二回)とこれによつて成立の認められる甲第一五号証の一ないし一一、第一六号証の一ないし三によると原告は昭和一二年生まれで、妻とともに漁業を営んでいたものであり、昭和六〇年一月から一二月までの一年間に六六二万七五六五円の水揚げ高があり、漁船燃料代八六万八六〇〇円、漁具代一六万九二〇〇円を控除すると残額は五五八万九七六五円となり、原告は原告主張の右額の利益を得ていたようにみえる。しかしながら、前記原告本人尋問の結果によると、原告は妻と共同で漁業を営んでいたものであり、妻の寄与率は三、四割程度であつたことが認められるほか、成立に争いのない乙第一七号証の一、二によると原告は昭和六〇年度の所得税確定申告において水揚げ高を六四二万七五六五円とし、漁船の減価償却額五八万七八八〇円を計上していることが認められること、前掲甲第九号証と原告本人尋問の結果によると原告は昭和六〇年六、七月は病気のため休漁していることが認められることなどを勘案すると原告は年間三六五万円の利益を得ていたものと認めるのが相当であり、前記1の関係から倉敷中央病院までの二八日間は一日一万円の割合による二八万円、その後の二三一日間は一日五〇〇〇円の割合による一一五万五〇〇〇円の合計一四三万五〇〇〇円の損害を受けたものと認めるのが相当である。

4  後遺障害による逸失利益について

前掲甲第八号証及び原告本人尋問の結果によると、原告は児島聖康病院において同病院の治療終了時点である昭和六二年六月二四日時点で症状固定となり、頂部痛、軽度の頭痛、右上腕から前腕にかけてのしびれ感の後遺障害がある旨診断されていることが認められるが、前記1の経緯及び原本の存在と成立に争いがない乙第二五、二六号証に照らすと逸失利益を認めるに足りる後遺障害の存在を認めることはできず、慰謝料算定の事情として考慮することとする。

5  慰謝料について

以上の事実関係を総合すると被告が原告に支払うべき慰謝料は八〇万円をもつて相当と認める。

6  損害の填補について

3ないし5の合計は二八八万三四二三円となるが、原告が本件について一二〇万円を受領したことは原告の自認するところであるから、右損害残額は一六八万三四二三円となる。

7  弁護士費用について

右損害残額及び本件訴訟の経緯に照らすと弁護士費用の損害は一七万円をもつて相当と認められる。

三  以上の次第で原告の請求は前項6、7の合計一八五万三四二三円及び6の一六八万三四二三円について不法行為の日である昭和六一年一〇月九日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める範囲で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、民訴法八九条、九二条、一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 梶本俊明)

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